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2009年 08月 19日
「金大中」といえば、父の思い出と重なる。
私がまだ若かった頃、父がくも膜下出血で倒れ、その後遺症でしばらく記憶障害が残った。その後遺症も徐々に恢復し、ひとりで外出できるようにまでなった。あれは、いったい父と一緒にどこへ出かけたのだろう。枚方市駅で父と待ち合わせた。 父は、ひとりでバスに乗って、枚方市駅の淀屋橋行きのプラットホームまでやってきた。ちゃんと待ち合わせの時間通りに、ちゃんと待ち合わせの場所にやってきた。 「えらい、えらい。よくできました」と、私は心の中で思った。私の父親ではあるが、そのときの私の目は、小さな子どもを見るような目であったに違いない。 父は片手に書店の紙袋を持っていた。「それ、なあに?」と聞くと、読みたい本があったので、駅前の本屋に寄って買ったのだと言う。以前からの習慣が徐々に甦ってきたのか、父は書店に寄ってからやって来たのだ。いったい何を買ったのだろう? 電車に乗り、座席に座ると、父は紙袋から本を取り出した。それは『世界』という雑誌だった。父が以前からよく読んでいた雑誌だった。金大中の特集号のようで、表紙に大きな文字で「金大中」云々・・・と書いてあった。 ふ〜ん・・・、父はこの「金大中」という人のことが気になるのか・・・。でも、父にはまだ、こんな難しい本は読めないだろう。クセのように買ってしまっただけだろうと思った。しかし、父はページをめくると、黙々と読み始めた。 父は、ちゃんと読解しているのだろうか? あるいは、娘の前で見栄を張って読んでいるふりをしているだけなんだろうか? どちらか判断つかなかったが、ここまで元に戻って来たのか・・・と思うと、父の恢復ぶりが嬉しくなってきた。 何が面白いのか、お硬い本ばかり読む父のことを、それまで反発してきたが、しかし、病み上がりに父が見せてくれたその姿は、とてもとても嬉しくて、胸がいっぱいになった。そんな父の姿を忘れられず、そのときに「金大中」という名前を覚えた。 不肖の娘は、今でも「金大中」のことをよく知らないし、『世界』も読みそびれたままであるが、今でもその日のことは忘れ難く胸に刻まれている。よく知らないままでごめんなさい。だけど、合掌。
by jun-milky
| 2009-08-19 23:39
| 本や雑誌
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