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2011年 03月 23日
私は1954年の11月に生まれた。その年の3月に第五福竜丸がビキニ沖で被曝した。アメリカの水爆実験によるものだ。そして日本各地にも放射能の雨が降った。
母は重い妊娠悪阻(にんしんおそ)になり、水を飲んでも吐く状態に陥り、点滴だけで栄養を摂りながら、私を生んでくれた。栄養不足で私は未熟児として生まれ、生後1カ月後と1年後の2度、肺炎で死にかけたらしい。母も栄養不足で母乳が出なかった。なので私は生まれた時から粉ミルクである。 幼い頃は虚弱体質でよく病気をしたが、オテンバだったので外でよく遊び、いつの間にかあまり病気もしない元気な娘へと成長して行った。 47歳のときに胃の痛みに耐えかねて病院へ行くまで、ほとんど病院の世話にもなったことがなかった。何が原因で癌になったのだろうと考えたが、色々と要因はあるが、もともと生まれたときから免疫力が低かったのだろう。母が何かのストレスで妊娠悪阻になったから、私は未熟児で生まれた。それで私は半ば冗談で言ったものだ。私の多重癌は、元をたどればアメリカの水爆実験のせいだって。 妊婦さんの命は二人分だ。二人分の命を守らなくてはいけない。不安は、ストレスになる。放射能からの直接的な被害がなくても、ストレスによって健康を害する場合もある。 新しい命たちが無事に生まれてくることを祈るばかりである。子どもたちが健やかに育つことを祈るばかりである。何だか祈ってばかりで申し訳ない。
by jun-milky
| 2011-03-23 01:12
| 日記
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