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2012年 01月 01日
例年の如く、ご近所の片埜神社(かたのじんじゃ)へ初詣。といっても、参拝は長蛇の列なのでパスして、境内の出店を眺めながら正月の風物詩を楽しむのみ。 そのあと隣接する牧野公園へ。 公園内の「伝 阿弖流為(アテルイ)・母禮(モレ)之塚」の石碑の前には、正月らしく葉牡丹が飾られていました。 アテルイの首塚の前にも、いつもきれいな花や水や酒が供えられています。 <今をさかのぼること千二百年の昔、平安時代のはじめ、東北地方には中央の朝廷から「蝦夷(えみし)」と呼ばれていた人たちがいました。かれらは美しく豊かな土地の恵みを受け、田畑を耕し、鮭などの魚を捕り、鹿やイノシシなどの動物を追いながら、平和に暮らしていました。 しかし、この頃京に都を置いていた朝廷は、その豊かな田畑や砂金が取れ、良い馬の育つ東北地方を支配することが朝廷の大きなねらいになっていました。 そのため、朝廷軍は圧倒的な兵士と新式の武器を持ち、力ずくで攻め込んでいきました。その度に田畑を荒らし、家を焼き払い、たくさんの人を殺しました。>(郷土歴史教材『阿弖流為と田村麻呂』より) ああ・・・、1200年経っても、国家のやることは残忍であると思い、土の下でアテルイは慟哭してるかもしれません。 アテルイにお参り(墓参り)する人たちもポツリポツリといて、少しばかりですがお賽銭もありました。私も10玉をひとつ置いて帰りました。
by jun-milky
| 2012-01-01 17:46
| 日記
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