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2010年 08月 21日
今朝の『ゲゲゲの女房』、久しぶりに『ゼタ』の社長さんが登場しましたね。
話の中で出てきた『総員玉砕せよ!』は、同じく水木しげるの『コミック昭和史』とともに10年前に買いました。どちらも文庫本ですが。拙作「鈴懸の径」を描くための資料として買ったのでした。たった24ページの作品を描くのに50冊以上の本を読みました。読むだけで半年かかりました。大阪市内の図書館まで通って本を借りたり、無い金をはたいて書店で本を買い集めたり。 資料を要する作品を描くためには、時間と禁欲(本を買う金を捻出するために他の物を辛抱する)と持久力と体力が必要だと思い知りました。 服のボタンひとつ描くにも、資料調べして、この頃にはもう金属のボタンはなくて陶器のボタンになってるから、この設定は使えないとか。とにかく小道具ひとつ描くにも調べて確認しなくてはいけないので、手間ヒマかかりました。 それを描きながら、若くして亡くなられた湊谷夢吉のことを時々考えました。そりゃあ、小道具の隅々にまでこだわって、ここまで描き込んでいては、命を縮めて当然だなぁ・・・・と。 しかし、水木しげる。 片腕であることは、子どもの頃からテレビや雑誌を通じて知っていたが・・・・。こうやって毎朝、その姿を見ていると(あくまで役者が演じてるものではあるが)、片腕がないということは、こういうことなのかと、この目に見えてくる。頭で想像するのと違って、目に映ると、よりその姿がリアルに迫ってくる。こういう姿勢でケント紙にへばりついてマンガを描き続けて来たんだと・・・・。 普通の人間がこういう姿勢でマンガを描いていると内臓をやられて(あるいはあちこち故障が生じて)、早死にしてしまいそうだけど・・・・。この水木しげるの生命力はなんだろう・・・? いや、それ以前に、その不自由な姿勢で、よくぞここまでの作品を・・・・。やはり常人ではない。生半可ではない意志のようなものが、心身を支えて来たのだろか・・・・? そのことを思えば、自分が恥ずかしくなってくる。この程度のことで、一生懸命なんて言葉を使ってはいけない。しんどいなんて思ってはいけない。描くということは、この程度のことではない。と思い、ちょっとしたことに一喜一憂する自分の薄っぺらさを、軟弱さを、戒められる。 『ゲゲゲの女房』のおかげで、そのマンガを描く姿を毎朝目にすることで、この夏はとても励まされた。残暑の厳しさにめげずに、がんばろう。
by jun-milky
| 2010-08-21 12:55
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