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2023年 03月 22日
1970年、この年僕はほとんど仕事をしていなかったが5日くらいだけ伊丹空港のそばで廃品回収を手伝ったことがあった。その2年前、この近くの企業がベトナムへ兵器を送っていて学生や労働者が抗議に押し掛けた。日本の他の多くの企業が兵器、食料、衣類などベトナム特需で潤っていて抗議は続いていたが、70年には大阪万博が開催され、世は“昭和元禄”に浮かれ、ベトナム戦争反対の声は大きな波に押し流されていき、飛行機の轟音に震えていた廃品回収業の一家も散っていった。 大阪府と兵庫県にまたがる伊丹空港のそばに廃品回収業の一家がいた。オジサンは三〇代、縦も横も堂々たる体格で首が太くあばた面、花崗岩の如き容貌。オバサンも三〇代、こちらも背が高かったが体型は中肉、仕事柄身なりを構っていなかったが女優の馬淵晴子に似た美人。小学生の兄妹二人は両親から受け継いだ巨体を何にでもぶつけたがる腕白だった。 僕より二歳年長のモクが花崗岩と交流があって、その紹介で一九七〇年秋、大阪府南部の通称ヒッピーコミューン「七山小屋」や梅田のジャズ喫茶「タイム」に出入りしていた連中数人がここで働いていた。クロと僕が阪急電車蛍池駅で降り、時折、低空を巨大な機体が轟音を響かせて過ぎる殺風景な道路を一〇分余り歩いて空港フェンスの前までいくと、人通りの全くない歩道沿いにテレビが二〇台ほど整然と積まれ、そのいくつかには値札が貼られているのが見えた。その横のトタン塀の一角から中に入ると、高さ数メートルの金属の廃品の山が立ちふさがり、一方には段ボールや新聞紙が束ねられ、こちらもうずたかく積まれていて、独特の臭気が辺りを領していた。 誰もいないので廃品の間を縫って奥へ進むと、ベニヤ板で仕切った二畳ほどの部屋が並んでいて、各部屋は布団や木箱、衣類などが散乱している。その一室に上がり、雑誌を読んだりタバコを吸ったりしていると、ジャンが入ってきた。ジャンは僕より一歳年上で京都に住んでいて、数日前からここで働いていた。 しばらくして他の者が帰ってきて、ジャンがクロと僕を花崗岩に引き合わせた。花崗岩は、ここにいるのは自由だが働かないと賃金も飯もないという。これまで連中の中には寝食だけが目的の者もいたのだそうだ。 仕事の内容については、どこかから廃品を集めてきて花崗岩に買ってもらう。銅は高く、ガスコンロは中の鉄以外には価値がないなどと教えられ、他には集めてきた段ボールや新聞紙を束ねる作業もあるということだった。 廃品の山の奥に花崗岩一家の住居があり、夕刻、そこから男の子が夕食の用意ができたと伝えに来た。通路が狭いので一人ずつ、そこの台所でごはんやおかずを受け取り、ベニヤ部屋へ運んで食べる。クロと僕の分も用意してくれた。メザシと漬物とみそ汁、ごはん。 一室で、モクたちと食事し、そのときモクが話したのは、花崗岩が東京出身で数年前までカリフォルニアで柔道、剣道、按摩に書道と、アメリカ相手なら何でもいいのか、とにかくそんなものを教えていたらしいということと、馬淵晴子が熊本、肥後藩のお殿さんの末裔ということ。道理で料理がヘタだと思った。按摩と姫がどこで知り合ったのか少し興味がわいたがその話は出なかった。 朝食は食パン一枚と牛乳一本。アンマは牛乳配達も兼業していて、早朝、すでにアンマとモクが二人で牛乳配達を済ませ、この牛乳はその残り物だそうだ。アンマによると、廃品回収と牛乳配達を兼業するのは違法で、保健所か何かの査察が入るらしいのだが、隣接する市の警察署長の弱みを握っているので見て見ぬ振りだから同じ軽トラックで早朝は牛乳を、それ以外は廃品を積んで走っていた。また、アンマはこのトラックともう一台、乗用車のコロナの屋根を切り取った“改造オープンカー”を所有していて、こっちのポンコツは車検も受けていなくて「検査標章」という四角いステッカーをどこにも貼っていなかったが、これも署長の弱みのおかげで堂々と走っていた。 仕事だが、廃品を回収してくるといっても、周辺に民家も商店もないから、当然廃品も出てこない。一人不良高校生がいて、彼は自分のバイクで廃品を運んでいたが、あとは自転車と軽トラック。車の免許を持っているのはジャンだけで、他の者は車も免許もないから、アンマかジャンが運転するトラックの助手席に乗って回収してくるか、ボロ自転車の荷台に積んでくるかである。僕はジャンと相談して深夜二人で廃品回収に向かうことにした。 その夜、一二時を回ってからジャンが運転する軽トラックの助手席に乗り出発した。ジャンはこれまで民家の前に置いてある廃品を集めていたという。それでは効率が悪いので商店街を回ろうということになって、近くを回ったが何もない。隣町へも行ったが何もない。牛乳配達の時間までには戻らなければならないが無駄足で帰りたくない。そうこうしているうちに大きな住宅ばかり並ぶ地区に入っていて、そこで見つけた。各戸のガレージなんかの前の溝に渡してある鉄板だ。高級住宅街だからいたるところにある。 反対するジャンを「貧乏人からの搾取によって築かれた財産の一部を返却させるんや」と、乱暴な論で説き伏せ、車から降り、二人で音を立てないよう剥がしにかかる。溝から持ち上げるときはまだいいのだが、車に乗せるときに金属のぶつかる音が深夜の空に響き渡る。すぐその場を後に立ち去る。一枚成功したからか、あとはジャンも自発的に行動し、それぞれ違う家の鉄板を一枚ずつ合計四枚もらった。 報酬は、新聞、鉄、銅などそれぞれキロ単位で価格が決まっていて、アンマがそれを秤に載せてその場で支払う仕組みだ。揚々と凱旋してアンマに見せると、一旦、売り物にはならない、足がつくとはいったが、結局通常の半額で買い取った。しかし、二度と買わないからもうやるな、といわれた。 翌日の深夜もジャンと二人であちこち回ったが成果なく、帰ろうとしているところへ工事現場が現れた。月明かりの更地の一角、一輪車や鉄筋や番線が固めて置かれているのが見えた。一応ワイヤーの柵があるが、横へ回ると柵が途切れていて、これも簡単に頂戴できる。また反対するジャンに「日本社会の諸悪の根元はゼネコンなんやから、これをもらうのは正しいことや」とか、また無茶な口実で説得した。戻ると、アンマは昨日と同じことをいって買い取った。 部屋へ戻って寝ころんでいると、「まともな仕事を教える」といってアンマが僕を牛乳配達に連れだした。僕にあっちの家、こっちの家と指示して牛乳瓶を運ばせるが、自分も家ほどの巨漢を素早い動きにのせて配る。その姿は確かにまともな仕事に見えた。 帰ってから朝食を食べると、アンマが新聞と段ボールを束ねるよういいつけた。これは時給だ。翌日、また牛乳配達を手伝わされたあと廃品を整理していると、アンマが僕に梅田へ行くのでついてこいというので、朝食後、オープンカーに乗った。車中でアンマが後部座席に載っている段ボール箱を開けて中を見るよういったので開けると、赤や黄色のプラスチックのおもちゃのような物。何か分からず見ていると「大人のおもちゃ」という。今度、この商売を始めるにあたって、まず業者の実態調査をすることにした、という。 梅田の曾根崎通りにある大人のおもちゃ屋にアンマの後から入った。先に連絡をつけていたらしく、アンマが店主と営業的なやりとりをしている間、僕は狭い店内をまわりながら、初めて見る奇怪な道具類に興味を感じながら、僕にこのような高度なエロを試す機会は訪れないだろうと思い、この仕事を手伝うよういわれても断るつもりだったがそんな心配はいらなかった。アンマと一緒に二階の倉庫も見てから引き上げ、帰りにアンマはこの件に一言も触れなかった。それ以後の行動にも変化がなかったので、新商売はこの時すでに断念していたようだ。あの段ボールいっぱいのおもちゃはヒメとの遊びに使ったのだろうか。 鉄板や番線泥棒で見込まれたのか、二、三日して今度はクロと一緒に能勢の山中へ連れて行かれた。川を背に草に覆われた空き地があって、その前に立ち「三〇〇坪だ。ここに家を建てる。コミューンにするからみんなに宣伝してくれ」といった。この土地をすでに入手していたのか、何の目的でコミューンにするのかわからなかったが、この話もこれっきりだった。 ある日の夕食後、仲間たちとベニヤ部屋で話しているとアンマがやってきて加わった。アンマはいつもこっちの部屋へやってきては、僕たちが吸っている煙草を一緒に吸ってからヒメのいる住まいへ戻っていく。その日はみんなで京都へ行こうということになった。 僕たちが廃品の中で待っていると、しばらくして出てきたアンマの後を追ってヒメが小声で何か訴えている。アンマが邪険に振り払う。こうした光景はこれまで何回か目撃していて、ヒメは僕たちを快く思っていない様子で、表情にもそれが露骨に表れていた。それはアンマの収入よりも散財が増えている原因が僕たちにあるのだと、それはその通りかも知れず、アンマ自身の放縦な性格も日々の暮らしを圧迫していて、ヒメにとって、アンマも含めた僕たち全員、一家の生活を脅かす有害な子どもだったのだろう。 僕たちは逃げるようにオープンカーに乗り込んだ。前の座席に三人、後ろに四人、ポンコツコロナのエンジンは唸りをあげて一路、京都へ。下鴨一本松のロック喫茶「MAP」に着いたのは深夜。ロックにノって、隣の玉突き場で遊んで、カリフォルニアからインドへトリップして……。 彼らから聞いた話では、ある夜、ベニヤ部屋で数人が休んでいるところへ例によってアンマがきたが、初めて遊びに来ていた誰かが無視した。それにつられて他の者も素知らぬ顔をした。アンマが激高し、日本刀を持ち出して抜き身を突きつけた。「首を落とされると思った」とは彼らの一人の言。クロに聞くと「何のこと?」とうそぶいた。刀はクロの首にあてられていたそうだ。 その後の噂では、ヒメは離婚して子どもたちを連れ熊本の実家へ戻ったらしい。異臭を放ち、錆や黴を付着させ、一個の有機体と化していたくずの山も、毎日出し入れして一台も売れなかったテレビも、目が合うと肩でぶつかってきていた子どもも、間断なく飛び交う巨大な金属塊の爆音に吸い込まれていった。 行方しれずとなったアンマは、またカリフォルニアあたりで、アメ車のオープンカーを走らせ、いかさま剣道を教えていたらいいのだが。
by jun-milky
| 2023-03-22 14:38
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